「今から本当に作曲ができますか、ピアノで自分を表現できますか?」

よくある質問 「今から本当に作曲ができますか、自分を表現できますか?」

回答 「今、はじめなかったら、この先も、表現もピアノも作曲もできません。そしてそれで重ねる年の数は同じです」

 

*****

【やればできる】という逃げ道と麻痺

 

最近は見なくなりましたが、12~15年くらい前は、新宿あたりを歩いていると

「すみません、手相の勉強しているんですが、あなたの手相みせてもらえませんか?もちろん無料です」

と声をかけてくる人がまだ結構いました。

僕も学生時代に、親切心から見てもらった事があります。

要は街頭キャッチです。あることないこと、いわれて、不安をあおられて、

自己啓発セミナーとかあやしい宗教とかに勧誘されるわけですが、

そこでの、決まり文句、って何かご存知ですが?

もれなく僕もそのときにはっきり言われたので余計に印象ふかいのですが、

「あなたは、もっとできるのに、やればできるのに、実力を発揮できていませんね」

と言われるんです。そして、この言葉に、「いいえ、全力でだしきってますけど」

なんて反論できる人は、ほとんどいません。

なぜなら、多くの人が、もうおそらく99%の人が、もっとできるのにやっていない、

わかっているけれどやっていない、やればできるんだけどね。

と思っているからです。(なお、このような事を得意気に言ってくる占い師やヒーラーは、関わるのをやめましょう。

 人間である以上、だれもが、この感情を多かれ少なかれ抱いており、誰にでも当てはまることで別に特別なことじゃないんですから)

 

 

 

■なぜ、みんなに当てはまるのでしょうか。それは、人間にとって一番、こわくて、かなしくて、立ち直れないのは、

やったのにダメだった

全力を尽くしたのにうまくいかなかった

本気で努力したのに手に入らなかった

という状態です。

叶わない、手に入らない、という現実を突きつけられる上に、もう全力でやっていますから、

いいわけも逃げる事もできず、すごいショックをうけることになります。

言い方を変えると、

やればできる

いつかできる

本気になればできる

やってないけど、いつかやれば叶う

というのは、傷つくのを回避するための逃げ道なんです。

やればできる、という言葉で、自分の自尊心が傷つくのを防御できるわけです。

つまり、誰もが、自分の可能性を残しておきたいんです。

言い方を変えると、自分の可能性を知るのが怖い。だから、やればできるんだけどね、と言って逃げてしまう。

オーディションを受けて落ちてしまうよりも、受けもしないで、受ければ最終選考までは残ると思うんだけどね~って言っている方が気持ちがいいんです。

転職活動をしないで、その気になったら、何社かいいところが見つかるとは思うんだけどね~と言っている方が、楽です。

色々準備が整ってからやろうと思うんだ、と先延ばしにしているほうが、傷つく事も先延ばしにできます。

いつかやろうと思っているんだけどね、といいながら、いざ、そのときがきても、自分の限界を知るのが怖くて、また先延ばしにしてしまうんです。

ですから、本当に多くの人が、チャンスがきても、いざ、やることができる機会がきても、

それをやりません。

やってみて、もしダメだったら、すごいショックで傷つくのをわかっているから。

【やればできるんだけどね】 という、曖昧な状態が一番心地いいからです。

麻薬みたいなものですね。

【やればできるんだけどね】といえば、現実から逃避できますし、気持ちもよくなります。

だって自分はやればできる、そんな力のある人間だ、と今は思う事ができますからね。

そうやって、やればできる、その気になればできる、いつかやればいい、という言葉でごまかしていくうちに

年をとっていきます。

やってもできなかった。

やったけどダメだった。

これは本当にキツイ。苦しいことです。

でも、

やればできる、 という 幻想でごまかして、逃げて、年をとるのと、どっちがいいのか。

僕が新宿であのとき声をかけられたウサンクサイ手相の人のように、

あなたはやればできる人なんだけど

なんて、自分にいいきかせて、逃げていませんか。

本当にやればできるかどうかは、やってみないとわかりません。

そして、やってみてだめだったとしても、そ子で初めて見えてくる景色や気づきがあります。

みなさんは、表現に関して、ピアノに関して、そしてこのサイトの講座に関して、

いつかそのうち

やればできるんだけど

といって、自分の可能性を知るのを怖がっていませんか?

やればできるんだけどね、と思うのは、今は気持ちがいい麻薬みたいなものですけれど、

やがて年齢をかさね、もう、どうやっても、やればできる、といえなくなったときに、

ものすごい後悔と失望に襲われます。

本当にできるかどうかはやってみて、わかるものです。

そして、やってみた先には、できようが、できまいが、今とは違う、次の新しい景色が見えてくるのです。